日本の空からの玄関 昔羽田,今成田 <No.7>



現在のように,長距離の洋上飛行でも飛ぶルートが,きめられていて自由に飛べないの であれば,それら定められた ルート上の地点名を印刷して置くこともできるが,当時の国際線が飛行 する洋上には,そのようなルートが存在しなかった.その都度飛行するルートが変化するので前もって ルートを印刷などすることはできなかった.なぜ,フライト毎に変化するのか ? それは, 高層風が日々変化するからである.

当時の長距離洋上飛行の場合は,プレッシャ・パターン・フライトと称する航法が一般的であった. だからフライトプランもそれにそったものになった.このプレッシャ・パターン・フライトとは 簡単に言うと 常に,可能な限り追い風成分を受けることの出来るような飛行方式とでもいえるも のである.常にそれが可能かと言えばそうはいかないが,言い替えれば,その骨子は 最大限,風 を有効に利用することにあった.高層の風向風速はその高度の気圧配置に依るものであるが故に プレッシャ・パターン・フライトとよばれていた.現在のように洋上といえども交通量が増えた状況 では,それぞれが勝手に自分の好きなルートを飛ぶと,それらのルートが交差したりする為に空域の 有効利用ができない.それで,今では飛行できるルートがきめられていて,その中から飛行時間や 天候状態を考慮してルートを選ぶようになっている.

もう少し具体的にいうと,今では北太平洋の空域には5本のルートが設定されている.中部太平洋空域には 毎日のプレッシャ・パターン,つまりは高層風の影響を考慮した,日毎に変化する3本の東行便のルート が設定されている. 昔はこういうものはなかったので,この広い空域にルートを自由に引くことが できたのだ.普通は2点間の最短飛行時間のルートは? というと2点間を結ぶ直線ルート(但し, 大圏コースでなければならない)と考えがちだが,必ずしもそうではない.無風状態であれば, そうであるが,地球上では,とくに高層ではおおむね無風状態はないので,飛行する場合は常に風を 考慮しなければならない. では,当時はどのようにして ルートを決めていたかを説明しよう.

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