霧による航空機事故の再発
  前にも述べたように、空中に漂う水滴の密度が高くなり、大気の透明度が減少して視程が 1キロメートル未満になると「霧」と呼ばれることになる。従って単に霧の中といっても、いつも周囲のものの識別が全く出来なくなる訳ではない。その反面、人間の行動を助けるための装置、例えば航空の場合の航法援助施設、などの助けを受けるとかなり濃い霧の中でも自由に動き回ることができる。

  ところが、その場合に当事者の不適切な判断が加わったり、当事者間の連絡に「そご」があると重大な出来事に発展する。「霧」だけが主役なのではないが、それに他の要因が複合すると大きな航空機事故にまで発展することがあるというのが、前に挙げた「テネリフェ」の例である。

  事故発生の責任の所在がどこにあったか、ということの究明が問題の解決ではない。悪視程の中というようにまわりのものが見え難いときには、ちょっとした手違いが大きな悪い結果になる、ということである。この様な教訓がありながら人間は同じ間違いを犯すものである。この後でも霧の中では何回かの事故を起こしている。

  それらを一つ一つ取り上げていてはきりがないし、それがこのシリーズの目的ではないので省略するが、必ずしも大きな事故の調査結果が教訓となってはいないことに驚く。

  大きな飛行場では多数の航空機の往来があり、輻輳する無線通信が操縦席に おける操作と重なり、有ってはならないような標識の見落とし・通信内容の勘違い・混信などで誘導路や滑走路を間違えるという事件が起こる。まして濃霧中では視界不良という悪条件によって事件を大きくしてしまう。

  これら過去に発生した同じような事故の原因が解明されていても、やはりどこかで同じことが繰り返されている。この様な人間の習性、または「ヒューマン・ファクター」を重視することが必要だとする分野が生まれた。この段階になると、気象の守備範囲ではなくなり、別の話題として取り扱われることになる。
(C)2001 KATOW-Kimio

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