視程障害  〜その1〜
  具体的な気象現象の一つとして霧を挙げたが、これは前にも説明したようにも、我々から視界を奪ってしまう「視程障害」という現象である。霧の他にも視程障害となる気象現象は幾つもある。それらの個々の話に入る前にごく一般的な話をすることにしよう。

  視界とか視野という言葉はここまでにも使っているし、聞き慣れているだろうが、「視程」という言葉がしきりと出てきた。これは気象用語の一つではあるが、初めて聞く人のためにちょっと説明が必要かもしれない。

  一般的に「見える」というのは、物に当たって反射した光や、物自体から出た光がそれを見ている人の眼に入り、網膜の視神経を刺激して脳細胞に信号を送り、認識される過程のことだろう。ということは、網膜にある視神経を反応させるだけの光の量がなければならないことになる。ただし、網膜の反応度には個人差があるようだから、同じ光の量によっても見え方が違ってくることもあるだろう。

  光が減少したり、なくなってしまう夜のような、いわゆる「くらやみ」の中で物に当たる充分な光がないような場合には、どのように考えたらよいのだろうか。そのようなときにも自ら光を発する物であれば見ることができる。そして一方、まわりが深い闇で暗いのに、ちゃんと物の見分けがつく人たちもいて、かなりの個人差があることも事実である。

  ところで、同じ物から出た光でも(この際自身で発光することも、反射光の場合もまとめてこのように言うことにする)、人の眼に達する光の量は周囲の状況によってはかなり変化する。つまり、途中の空間に光の通過を妨げるこまかい浮遊物が散在するような現象があれば、空気が濁っていると言い、いわゆる「透明度」が悪くなって、通過する光の量は減少するので見え難くなり、それにつれて見える距離は短くなる。
(C)2001 KATOW-Kimio

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