初期突風・下降奔流など ・・・ 下降奔流(Downburst)〜その1〜
下降奔流(Downburst)

  次にマイクロバーストであるが、これは最近でもことある毎にマスコミにも 取り上げられているので、かなりたくさんの人が名前だけでも知るようになった。しかしここでも、ちゃんとしたことを言っておく必要はあるだろう。
  この現象も多分昔から有ったのだろう。このことについては「太古の昔まだ 人類が誕生する前からでも、大気が出来て気象現象が現れ出した頃から有っただろう」と書いたり、話したりしたことがある。昨今盛んに取り沙汰されている、人類が引き起こした環境破壊がもたらした現象ではない。しかし現象としてはっきり見つけられ、その構造などが解明できたのはわずか四半世紀ほど前である。
  きっかけは不幸にもやはり航空機事故であったが、その原因調査の過程で綿密な気象解析をした(前にも名前を挙げた)フジタにより発見・命名された。
  この航空機事故は1975年にニューヨークのJFケネディー空港で発生した。この事故の当時この一帯には激しい雷活動が襲来していた。ただし空港の南からは昼間の海風が滑走路のほぼ全域に亘って吹いていたので、積乱雲のセルは空港敷地の北側に外れた地域まで追いやられて、西から東へと通過していた。滑走路に対する風が南風であったので、北側の進入空域には連続した積乱雲の帯があったにも拘らず、着陸機は北側から進入していた。運命の飛行機B727型の前に進入した内の数機からは、進入空域で乱気流に遭遇したとか、これでは北からの進入を考え直した方がよい、などとの通報がされていた。中の一機は 進入を諦めて着陸復行のため上昇に移ってしまい、終局的にはその後の事故発生による滑走路閉鎖のため、他の飛行場へ着陸することになった。
  運命の当該機は進入を続け、高度 200フィート位になったときに急激に機首が上がり、その後(パイロットの操作があったにせよ)機首が下がって急降下に移り、滑走路端より手前に接地(墜落)して地上を滑り大破炎上した。
  このときの気象現象と飛行機の運動について解析した結果、飛行機はまず急激に向かい風を受け対気速度が増加し機首上げになり、その後下向きの鉛直流域に入ってから、次に訪れた追い風により対気速度が減少したことが判った。
  同じようにこの雷活動空域を通過してきた、この他の複数の飛行機の運動を解析した結果からも、似たような構造が浮かび上がった。そして中心になるのはまん中にある強い下向きの鉛直流であり、秒速にして20ないし30フィートはあると計算された。このためこの強くて速い下降流に対して「下降奔流」という名前をつけ、(前述したように)流速が秒速12フィート(約 3.7メートル) 以上のものをそう呼ぶことにした。
(C)2001 KATOW-Kimio

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