日本の空からの玄関 昔羽田,今成田 <No.3>



私自身,人生のほとんどすべてを 航空機運航管理者として近年リタイアする まで羽田と成田で 過ごしてきたので,このあまり世の中にしられていない 運航管理者 という職務についてのいろいろな思いなどを書いて見たいと思う.運航管理者は  アメリカでは Aircraft Dispatcher とよばれているが,国際的に認可されている, つまり ICAO (International Civil Aiation Organization) の規定書の中などでは  Flight Operations Officer とよばれている.

Junkers F13 この職業のルーツについては幾つかの話があるが,一番信憑性の高いと思えるのは初期の 航空会社,つまり,初期といっても初期の初期,時代をぐーんとリンドバーグの時代に溯った 時代,その時代の航空会社の「何でも屋」であったという説である.その時代の会社 のオーナーは飛行機のオーナーであり,また同時にパイロットでもあり,運ぶものは郵便, これが航空会社の原形であったといわれている. D.H.89A Dragon Rapide

その時代に寄港地のパイロットから の電話による問い合わせ,「今から,そちらへ帰るが,お天気はどうだ?」に対しての 応答や,「これから B飛行場まで飛ぶが,燃料をこの位積みたいが,それだとどの位 郵便をつめるか計算していてくれ,ついでにBの天気も問い合わせていれくれ」という ような依頼に応える 「何でも屋」がルーツであるという説である.

ここに挿入されているJunkers F13 や D.H.89A Dragon Rapide は 1920年代から1930年代 にかけて旅客機として活躍した.ちなみに前者の最大巡航速度は 140 kph (76kt), 最大離陸重量は 1,850 kg で 乗客は4名,後者は 210 kph (114 kt), 2,490 kg で 乗客数は7名であった.また,次のポスターは同年代のある航空会社のポスター である.当時は飛行場や滑走路の問題からか,フロートのついた旅客機が多かった.(D.H.89B Dragon Rapide for FS98. oyaao2.zip by Jan Konstmann が flightsim.com にあります.パネルも含まれています)

No.2←BACK   NEXT→No.4