日本の空からの玄関 昔羽田,今成田 <No.1>



そこは 米軍の基地だった.そう、かれこれ40数年前、私が初めて羽田空港を訪れたと きには入り口の橋のたもとに白いヘルメットをかぶった米軍のMP(憲兵、Military Police) が立っていた記憶がある.今でも米軍の基地ではそうだろうが,当時も当然の事ながら米軍 発行の身分証明書か,それに準じたものを提示しなければ立ち入ることが出来なかった.

一歩ランプにでてみると当時 POLといっていた燃料タンク等の施設の傍のスティールを敷き 詰めたランプには精悍ないかにも軍用機といった雰囲気のB26や,輸送機としてはDC3 などが主として駐機していたものだ.そもそも羽田は飛行場として1931年(昭和6年)に小さな バラックと短い滑走路一本で誕生した由だが,この羽田が飛行場として米軍に接収され たのが 1946年(昭和21年)の6月とのことなので,その後,数年して仕事で 頻繁に通うようになった1953年(昭和28年)頃には,もうすでにアメリカのノースウエスト航空 やパンアメリカン航空などの民間航空が運航していた. この2社以外にも米軍兵員輸送の為に Military Air Transport Service (MATS) や, その MATSとの契約で多くの米系のチャーター 専門の航空会社, Seaboard Western, Trans Ocean 等が運航していた.

民間航空としては,まだ一般の人が海外旅行などできる時代ではなかったにも拘わらず,すでに 欧州系のBOAC(英国航空の前身)や SAS, KLM, CPAL, QF, AFR, AI, CATなど の機体を見る事 ができた.
羽田が戦後,国際空港,つまり日本の空の表玄関として開港していらいの各国からの路線の運航 の開始状況をリストで示して見よう.

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